約1か月前、愛知県2名、東京1名の3名の発起人で始まった「石川ワタルお別れ会」プロジェクトは、
60名の参加で無事終えることができました。
石川さんの残した連絡者リストは、電話番号しかわからない。30名にも上る数、ある程度の人数が
確定しないと会場の確保もできない。この1か月すったもんだの連続でした。
一人の人間のお別れ会に、その人となりを心底語り合いたい、生前の The Wataru Ishikawa を
心の奥に刷り込んでおきたい、そんな人が60名集いました。
参加された皆様は、スライドショーで映し出される彼の姿を、しっかり目に焼き付けたことでしょう。
遺影の前には参加された方からの供物、競馬新聞(翌日は凱旋門賞、スプリンターズS)、
遺作となった「石川ワタル、世界をワタル」、好物の赤福、大好物の酒などなど。
モニターの前では、バガボンド時代の友人でフォトグラファーの栗原秀夫氏のプレゼン。
会の白眉は、送る言葉を頂戴したお二人のお話です。
海外競馬でお馴染みのTIS社長、奥野庸介氏は、遺作でも対談されているのですが、今あるご自身に対する
石川さんの影響力を感動的に語られました。ありがとうございました。
競馬予想誌「日刊競馬」の本誌担当数十年、飯田正美氏は石川さんとの交わりを軽妙洒脱に、その人となりを
じんわり、しっとりと滲み出し、誰もが頷かされました。ありがとうございました。
そして、いよいよ最終ステージの全員集合写真。3時間の会も終了です。ご参加ありがとうございました。
皆、この表情なら、石川ワタルの死を乗り越えれるかな。
参加された方へ小冊子「石川ワタル初期作品集」を謹呈。競馬評論家としての道を歩み始めた初期の
作品(JRA発行「優駿」1975年6月号「レッドラムの悲哀」他2編)を編集したものです。
親しき人の死というものは、確かに悲しいことですが、人間、喜怒哀楽というものがあるわけで、
たかだか人生50年(今はもう少し長いですが)でも、味がある「たかが人生、されど人生」を
わずかばかり体感することができました。
黙祷、献杯 石川さん。