松阪市に訪問する人の多くの目的は、ブランド牛肉か、本居宣長を知る、ことに尽きるのではないでしょうか。
10年前に仕事のついでに散策をした機会がありましたが、観光資源豊富な街という印象がありました。
今回も先ずは、松阪城址南東、国指定重要文化財の「御城番屋敷」。石畳の道の両側に槙垣を巡らした武家屋敷。
1863年に建てられた住居には今も子孫の方が生活されています。迷惑な観光客へのおもてなしに感謝。
二の丸跡からの景観、向かって左の東棟10戸、西棟9戸、各戸8畳と6畳の間が2間づつ、裏には蔵、畑など。
そして、いよいよ登城です。意外なことに松阪は、江戸時代(1619年から1871年)和歌山藩領だったのです。
今は石垣が残るのみですが、国の史跡に指定されています。
本丸下段から見た趣ある建物の民俗資料館。
城内の一角に、松阪の誇り、江戸時代中期の大偉人、本居宣長記念館があります。業績の偉大さに圧倒されっぱなし、凄い人です。
その傍らには、本居宣長の住居があります。町の誇りを火事などから守るために、100年ほど前に市内から移築しました。
宣長の本業は医者、昼間診療し、夜は研究をしていたそうです。客人の待合室と中庭。
「奥の間」、弟子に講義をするときの部屋です。電気もなく、当時のままでとても暗く感じます。
世界の映画監督が選ぶ映画ベスト1(2012年)の「東京物語」の監督、小津安二郎は松阪で9歳から19歳まで過ごしました。
その青春館(記念館、入場無料)に行ってきました。
残念ながら館内は撮影禁止。ここでも小津監督の才能には驚愕です。そう言えば、彼は宣長の遠戚の子孫でもあり、
二人の筆跡、情報収集能力など相通じるところを発見しました。
「御城番屋敷」近くにある、風流な丸窓をもつ建物「原田二郎旧宅」(ここも入場無料)です。なかなかいい雰囲気です。
原田二郎という方も相当な偉人で、21歳の時に勤王の志士に、維新後23歳で東京において英語、医術を学び、
26歳で大蔵省に勤め、31歳で横浜銀行の頭取です。
2階書斎から窓を通して新緑を望む。彼の偉人たる所以は、71歳で全財産を公共福祉のために拠出(積善会)し、
今後3,500年間支援を継続していくということです。
前回、今回と松阪の新たな歴史と文化にふれ、嬉しい気持ちになりました。これだから、旅は止められない。